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2025/03/22 自立尊重原則の生命医療倫理への応用の意義と問題点

自立尊重原則の生命医療倫理への応用の意義と問題点
生命に関する諸科学は、1960年代以降、分子生物学を中心に革命的展開を示し、今日わたしたちの日常生活のあらゆる場面で具体的な影響を持ちはじめている。特に医療科学は、技術と密着合体することで研究と応用の時間的間隔を急速に短縮し、生命の始まりや終りへの直接的介入を深め、拡大するに到っている。人工授精、体外受精(試験管ベビー)、代理母、胎児診断、遺伝子組換技術による冷凍受精卵(胚)の実験と遺伝病治療、男女産み分け、脳死及び臓器移植等々、先端医療科学技術が、わたしたちの生活世界に現実化したものは限り無い程に多い。それと共に多くの議論が、いろいろな分野から提起されてきている。生命倫理(Bioethics )、それは単に医療倫理に限定されたものではなく、生態系に含まれる生命の相互関係を視野に取り入れた総合的倫理として構想されるものであるが、それが緊急な課題となっている背景には、先端医療科学技術の爆発的展開によって惹起された諸問題がある、ということができよう。

 たしかに1960年代以前には、医療と倫理の間にそれ程の相克はなかったのではなかろうか。しかし、それ以降、医療が先端医療科学技術という姿をとって登場するにいたって、伝統的な価値や倫理との間に深刻な軋礫を生むことになったのである。P ・ラムゼー(Paul Ramsey ) の『人格としての患者』(The Patient as Person )が出版されたのは、1970年であり、V ・R・ポッター(Potter )の『バイオエシックス― 生存の科学』(Bioethics ―Bridge to the )は、1971年である。これらの書物を嚆矢として、今日、生命医療倫理の議論は活発な展開を示しているわけであるが、その背景には医療の技術化によって、倫理の放棄あるいは乖離が現実となってきていることに起因している、といえよう。それは、今日の医療は人間にとって恩恵的であるか、否か、といった基本的な問いとして表明されている。このような問いは、自明のこととしてこれまで問われることはなかったであろう。

しかし、今日、卑近な例がわたしたちの大多数の者は、臨終の場を近代的な医療設備の整った病院で迎えるのであるが、親しい者を看取った者が「家で死なせてあげたかった」と一様に実感することである。またある末期医療にたずさわる一人の医者は、そのような近親者の言葉に接して「病院とは何なのか、医療とは何なのか、あれでよかったのか」、と自問自答しなければならない状況であることが、先の基本的な問いを生んでいる、といえよう。







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